『してやったり 猛牛ガッツマン』
外野手 平野光泰 9
ROOKIE CARD
近鉄在籍(1972-1985)
『平野・涙のバックホーム』
大阪明星高校で1967年に甲子園に出場。私の昔の職場に平野の一つ
後輩で一緒に甲子園に出場した人がおりその人のエピソードによると
一言『えげつない程、怖かった・・』そうだ・・こんな話を聞いた。。
大阪学院との試合で豪腕・江夏豊と対戦した際、唸る様な剛速球を打ちあぐねて
いると『お前ら!何であんな球が打てんのじゃ!見とけ!打ったるさかい!』
と言いセンターへクリーンヒットを放ったそうだ・・のちに江夏から本塁打
(ランニング・ホームラン)を記録している。これは高校時代に江夏が唯一打たれ
た本塁打と言われている。卒業後、岡山のクラレへ入部し門田博光等と一緒に
プレーしそして近鉄花の72年組みのドラフト6位で入団した。入団して3年間は
芽が出なかったが西本近鉄になり起用が増え1977年より外野の一角を守る事に
なる。2連覇の黄金期の切り込み隊長として活躍した。技術とか云々より『気合』
『根性』で打っていたイメージがある。外でも内でも打つと決めた球は強引に弾き
返した。また全力プレーから『ガッツマン平野』と呼ばれた。
平野と言えばオールスターMVP・サイクルヒット等色々な伝説があるがやはり
平野と言えば1979年前期優勝・決定戦 対南海戦の
『平野・涙のバックホームである』※奇跡のバックホームともいう
昭和54年6月26日大阪球場でそれは起こった。この日は近鉄前期優勝を
観ようと3万2千人が詰め掛けた。。勝つか引き分けで前期優勝が
決定すると言う試合・・近鉄・村田、南海佐々木宏一郎で幕が開いた・・
近鉄が2回に先制するも4回に追いつかれ場面は1対1で迎えた8回裏に
やってきた。2死1・2塁で南海・阪本が放ったあたりはセンター前へ・・
(坂本は前年度まで・近鉄に在籍し彼にも生活と意地があった)
2塁ランナーの定岡は本塁突入~っこの時平野が瞬時に猛チャージし
『くそ!ようしっ!くそっ!』と言葉にはならない気合でボールをすくい上げ
『俺達は何の為にここまで頑張ってきたんだ』そして後に明かした事だが
試合の数日前に『母親を亡くしていた・・』そんな事が力となり誰もが
『やられた・・』と思った瞬間。。梨田のミットにノーバウンドで収まった。
判定はアウトのコール・・この試合最大のピンチを乗り切ったのである・・
これが伝説のプレー『平野・涙のバックホーム』である
イチローの様なキレイなレーザービームではなかったが、平野らしい
気合と根性で投げた気持ちの入った渾身のプレーだった。
見た目もプレーも近鉄を象徴する選手だった。。
1979年6月26日 近鉄・前期優勝試合『平野・涙のバックホーム』チケット半券
1980年 オールスター戦第2戦 平野光泰MVP獲得試合チケット半券