『マニエル・おじさんの遺産を道楽息子が食い潰しよった・・』
外国人選手で『優勝請負人』『赤鬼』等のニックネームで呼ばれた最初の『助っ人』である。ヤクルトからの移籍後いきなり本塁打を量産し9打席に1本塁打と言う驚異的な数字で48試合で24本のアーチを放っていた。しかしそんな中事件が起こった。6月9日・日生球場・対ロッテ戦で柳沢が投じた球がチャーリーのアゴを砕いた。(アゴは7箇所の骨折だった)マニエルがリタイヤした後それまでの貯金が見る見る内に無くなり何とか2週間後、6月26日の南海戦で『平野の涙のバックホーム』で辛くも引き分け『前期優勝が決定した。その優勝インタビューで御大西本監督は
『マニエルおじさんの遺産を道楽息子が食い潰しましたが何とか優勝出来ました』
そして前期優勝パリーグMVPに選出された授賞式に出席する為に退院した時には9キロも瘦せていた。嚙めない為に流動食しか食べれなかったのである。それでも約3か月ぶりに復活した。そしてあの『アメリカンフットボール・フェイスガード付きヘルメット』が誕生するのである。これを考案したのは『マーティ・キーナート』で打席時のみ着用限定で出塁したら外すと言う条件付きでパリーグ審判団も許可した。後に何の因果か近鉄磯部公一も同じタイプのヘルメットを着用した。
後期は当時パリーグ4連覇中の宿敵・阪急とのプレーオフを制し『悲願のリーグ初優勝を飾った』まさに新戦力・マニエルおじさんの遺産と功績が無ければこの優勝はなかったのかも知れない。