1952年プロ野球よもや話 

『毎日リベンジならず!1ゲーム差で南海・連覇』

前年度覇者のホークスと初代王者オリオンズが最後まで縺れ、スターズとの再試合を制したホークスが僅か1ゲーム差で栄冠を手にした。鶴岡親分曰く(当時は山本兼任監督委)『なんて言うたらええのか・こんだけ苦しんで勝ったんやから、何とも言えん気持ち‥』と話している。この当時7球団奇数球団数だった為、18回戦で7球団がリーグ戦を戦い上位4球団が(セカンドステージ)4回の総当たり戦リーグ戦を行う特別ルールだった。レギュラーシーズンの成績に4球団リーグ戦の成績を上乗せするルールだったがこのリーグ戦で毎日が全12試合中10勝2敗の好成績でシーズン中6ゲームのアドバンテージがあったホークスとのゲーム差を一気に縮めホークスとのゲーム差を0・5とし毎日は全日程を終えた。残すは南海対大映との最終戦(再試合)のみであった・・結果はタイトル通りである・・この年首位の座が東急以外の6球団が入り乱れ28回も入れ替わったシーズンだった・・エース柚木は19勝を挙げ・飯田徳治が2冠王岡本伊三美がMVPを獲得した。

平和台事件

遅延行為が事件に発展・・梅雨時期15時開始予定の試合が約二時間遅れの16時55分に試合開始となり当時ナイター設備のない平和台の為、サスペンデッドの可能性もあったが漸く開始。。この日の日没予定は19時30分到底9回まで出来る状態ではなかった・・そこへ豪雨に見舞われ更に1時間の中断。再開が18時50分で日没の為、途中コールドの可能性がある事のアナウンスが流れた。そして4回に事件が起こった。土井垣捕手がサインを出さない・何度もマウンドへ駆け寄る・牽制を多く投げさす・凄いのは『水分補給の為にベンチへ戻る』と言う行為だった・・『ターイム!水分補給願いまーす!』てな感じがOKやったんすかね?それ通ったら何でもありやんか・・審判~っ俺トイレ!腹もすいた(笑)それらは湯浅監督の指示だったとかでゲームを伸ばしてサスペンデッドにしたかったようだった・・福岡・遠賀川辺りの『川筋気質』のファンが(多分)『はよー試合ばせんか!』と叫びながらグラウンドへ乱入し更にもう一人が審判団に文句を言い毎日ベンチへ押しかけた事が合図となりそれまでのファンのイライラの矛先は毎日べンチに向けられた・・遅延行為と『おらが町のライオンズの勝利を台無しにされる!』の思いが怒りとなった・・逃げ惑う湯浅監督はじめ毎日ナイン・・選手を置いて場外の車で逃走を図るが西鉄ファンに球場内へ連れ戻された。

一方グラウンド内では逃げていた選手が捕まりセカンド付近で別当・土井垣らが殴られそれを見た西鉄・大下弘・野口正明が助けに行き別当の上に覆い被さり守ったが殴られ血だらけになった・・大下は怒り狂う者たちに『どうか許してやってください‥どうせなら僕を殴ってください・・と涙ながらに訴えたと言う・・後にこの勇気ある行為が評価され大下・野口の二人にパリーグから報奨金が贈られた。

この状態を見て球審が『ノーゲーム』を宣告!その後湯浅監督がマイクでの説明を行うが怒りは収まらず武装警官が到着。監督・選手が宿舎へ戻ったのが深夜の事だった・・この一件の責任を取り湯浅監督はチームを去りパシフィックリーグから制裁金を言い渡された・・これが歴史に残る最初の暴動『平和台事件である

湯浅さん試合前から普通に辞めたかったんちゃう?それかこの日早く切り上げて中州のネ~ちゃんに会いに行く予定やったとか(笑)

1952年第3回日本ワールドシリーズ(大阪球場)

1952-1-1

1952-1-1-2

『鷹のエース・柚木進でシリーズ本拠地初勝利』

昨年に引き続き巨人・南海が激突した第2ラウンド・・昨年は巨人の圧勝となったシリーズ(4勝1敗)今年こそは昨年のリベンジ!と意気込むホークスだったがこの年も2戦連続で落とし(第2戦は11-0で完敗)迎えた地元大阪での決戦。

南海の先発は3冠王(防御率・勝率・奪三振・)柚木進がマウンドに立ち対する巨人はこの年ノーヒットノーランを達成した急成長の大友工との投げ合いとなった。試合は南海が大友の立ち上がりを攻め1回2死1・2塁から堀井がライト線へタイムリー2塁打を放ち2点を先制した。8回にも飯田・堀井の連続適時打で2点を取りダメ押し点を取り勝負を決めた。エース柚木の貫禄の完封勝ちであった。シリーズ初の完封勝ちと地元大阪球場での初勝利でもあった。

『これや、これやがなーやったら出来るがな~』