1951年プロ野球よもや話その2
2リーグ制となり、2年目のシーズン。
昨年まではセリーグ8球団・パリーグ6球団でペナントを争ってきたが
この年の1月西日本パイレーツが『セリーグの圧迫には耐えがたい』と発表!
これにより脱退。西鉄クリッパーズに吸収合併され『西鉄ライオンズが誕生』
よって、この年からセ・パ共に7球団でペナントを争う事になった。
「10月17日から日米野球を開催しますよ~」と急遽決定!アメリカの旦那が
そうおっしゃるなら・・さっさとシーズン終わらせて日本ワールドシリーズも終わらせなきゃ・・と言う事で
昨年に引き続き(昨年より更に前倒しでセ・が34試合パ・が62試合カット)両リーグ
合わせて96試合を開催せずに強制終了~この地点で巨人・南海が首位でゲーム差を考え2チームがリーグ代表として決定された。そんなシーズン・・この時代はまだGHQの息がかかった時代・・逆らえませんよね(苦笑)
『無茶しよんなー往生しまっせー』
1951年 第2回 日本ワールドシリーズ(後楽園)
東西の名門チームが激突!!
もみじのデザインが何とも秋らしいチケット。
この年から各チームの本拠地を舞台に熱戦が繰り広げられる事になったシリーズ
その第3ラウンド・・巨人2連勝で本拠地 後楽園に舞台を移して迎えた第3戦
南海はシリーズ初スタメン・松井捕手が誤算で打撃妨害やパスボール等で
初回に2点を失う。。その後ゲームは投手戦に突入・・ホークスにシリーズ
初得点が25イニングで漸く入った。
しかし南海が盛り上がったのはここまでで、8回に巨人・南村にダメ押し打を
打たれ、新人王・松田が力投し別所が抑えて3連敗となり南海のシリーズ
初勝利はお預けとなった。。
『南海鶏卵やな~タマゴばっかりやーっ
鷹のタマゴってうまいんかー(笑)』