◆選手名

099 大塚晶文 ROOKIE

#099 大塚晶文

ROOKIE CARD

思い出の猛牛戦士 

近鉄在籍(1997-2002)

『猛牛の守護神はルーティン第一!』

ドーム元年となる1996年ドラフト2位で入団。(プレーは97年)周りにも結構いるのだが『えっドラ1ちゃうの?』と言う人が多いがこの年のドラ1はPLから入団の前川克彦である。3位には磯部公一がおり(佐々木恭介監督がヘリであいさつは有名)6位には全日本のキャプテンを務め奥さんは大東めぐみの大久保秀昭らが同期にいる。ちなみに7位には岩村敬士が入団したが弟はヤクルトやレイズ等で活躍した岩村明憲。。日本シリーズではお門違いな発言が紙面を飾った・・『兄貴の首を切った球団・・兄貴の仇を討つ!』的な。。またタフィ―・ノリの3・4番の年間本塁打数101本を俺とアレックス(ラミレス)で抜いて見せる・・等の発言もあった。。言いたい年頃やったんやね・・うん・うん・誰でもある。イキりたかったんやな・・(※2018年現在抜かれていない・・)話を戻して・・最初に思ったのは『大塚って11番背負う程の奴なん?誰の背番号つことんねん!香川の背番号やぞ!って・・すんません・・!ボケました・・コアなファンならやや受けかも・・』・・初年度は三振は取るしええ感じやなーとは思ったけど、野茂や吉井の背番号を背負う程でもないなーと正直感じた・・が、翌年なんか知らん間にあれよあれよと言う間に30セーブ以上を挙げ赤堀の座を奪いパフォーマンスも定着し一躍看板選手に躍り出た事を覚えている。そんな大塚だがルーティーンにはうるさかった。言い方を変えると『神経質』だったと言う・・例えば朝起きてから球場入りするまで毎日同じルーティンでないと駄目で、ズボンやスパイクの穿く順番やベンチの座る場所、スタジャンを脱いだ後は綺麗にたたみ、飲んだペットボトルをスタジャンの上に乗せマウンドからラベルが見えるようにしなければ、気が済まなかった。そうしないと『打たれる』と思っていたようで、そうした中オールスター戦か何かでその話を知っていた選手がペットボトルのラベルを見えなくした所、打たれたと言う話があった・・打たれたと言えば大体9回にマウンドに立つとヒットを打たれていたイメージがある。で、ランナーを背負って縦スラで三振『シャー』っていうパターンが多かった。そうそう、2001年劇的な幕切れでリーグ優勝を決め梨田監督が宙に舞っている時に大塚だけが喜んでいない?なんでや?自分が締めなかったからか?と思っていたら優勝特番か何かで優勝本塁打が決まった瞬間アゴに頭突きをかまされ強打し機嫌が悪かったと言うエピソードがあった・・折角のムードが大塚にとって台無しになったのである・・台無しと言えばこの年9.11テロの関係で優勝祝賀会でのビール掛けは自粛されローズはコップのビールを頭に掛けて日本一の時にはこの分ビールかけをしよう!と話したがビール掛けは実現しなかった・・その後2002年にポスティングによるメジャー移籍を発表し待ち続けたが入札が無く同年オフにドラゴンズへ金銭トレードで移籍した。その後はMLBパドレスに移籍・・更に2006年にはレンジャーズに移籍しブレイクした・そしてWBC日本代表の守護神として世界一の胴上げ投手となり歓喜を味わった・・その後メジャーでも順風満帆佐々木以来の日本人30セーブを挙げるなど期待されたが怪我に悩まされ『トミー・ジョン手術』に踏み切ったがかつての活躍は出来なかった・・近鉄と言えばストッパー・クローザーの選手を多く輩出して来た・・そんな中でも一番威圧感があり『打てるものなら打ってみろ!』と言わんばかりの投球フォームと打ち取った後の『シャー』と言う雄たけびは今も眼と耳に焼き付いている・・大塚は間違いなく歴史に名を刻んだ投手である。。