# 110 水口栄二
ROOKIECARD
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1991-2004)
『高校打率は6割5分の野球エリート』
1990年ドラフト2位で早稲田大学より入団。同期には1位男前・寺前正雄・3位にはテカテカ投法・佐野重樹がいる。名門・松山商業で主将として甲子園準優勝を経験し大会安打記録19安打を記録・塁打記録も27を記録した(現在は更新されている)早稲田に進学し一年からレギュラーになり早稲田でもキャプテンを務めあげ鳴り物入りで近鉄に入団。ルーキーでは寺前と共に人気を集めた。開幕はケガで出遅れ主に大石・吉田・安達の控えとしての起用が多かったが94年鈴木政権となり吉田に代わり起用が増え始め2番に定着した。高校・大学とバッティングにも自信はあったが当時の『いてまえ打線』の長距離砲を目の当たりにして黒子に徹する事を考える様になった。守備と犠打・そしてもともとセンスのある粘り強いバッティングが冴え渡った。大石に代わり大村直之が『切り込み隊長』として一番に君臨するが水口の仕事は変わりなく大村出塁・送りバント・またはカットで粘って出塁・ランナー二塁の時は右方向への進塁打など器用なセンスでチームに貢献した。近鉄在籍期間だけでは水口が最多の279犠打を挙げている。(新井宏昌の300は南海も含めてである)ルーキーの頃のエピソードだが『オフは地元に帰りたくない』とコメントしている。その理由は『ミカンの収穫を手伝わなくてはならないから休養にならないので・・』愛媛県人らしいコメントだった・・(愛媛なら伊予柑かポンジュースの原料かも・・(笑))水口と言えばユニークな応援歌だ。今でも思わず口ずさんでしまう事がある
『気合を入れて~打つぞ~っ!ヘイ!我らのエイジ~ヘイ!栄二のバットが火を吹くぞ~っホーム―ラン~♪』ガラガラの藤井寺のスタンドで子供・おっちゃん・おばちゃんが『へい!』と言って跳ねていたのを思い出すなー・・今となっては非常に懐かしい・・あの光景は他球団には類を見ない住宅地の中の球場ならではやったなぁ・・夕飯食べ終わってラジオで近鉄が勝ってたり子供が退屈したり現場帰りの人達が球場に足を運んでいた。ニッカポッカ穿いた兄ちゃんや(※阪神ファンにいる様なんじゃなくて本職の人)エプロン姿のお母ちゃんもいた(笑)子供らはキャッチボールしてたなー・・そんな東大阪ののどかな球団が近鉄バファローズであった・・
話は水口に戻し印象に残った試合は01年大阪ドームで唯一開催された日本シリーズで起死回生の同点本塁打を放った一撃である。第一戦は石井一久の前に北川のライト前一本に抑えられこの日も6回表終了で6-2と4点のビハインドでこの日もあかんわ・・と思った時、大村の適時打に続いて水口の同点3ランが飛び出した。(後の同僚・島田直也から・・)更に8回にはタフィの一発でシーズン中の勢いそのまま勝利した試合だった。結局このシリーズはこの一勝のみで再び大阪の地を踏む事は無かった。
近鉄と言うチームは荒々しく破壊力抜群の強力打線のイメージが強いがその陰では水口の様な選手が支えお膳立てが出来たからこそクリーンアップが映えたと考える。元々は打てるバッティングセンスが有りながら黒子に徹した水口栄二と言う選手は本当に素晴らしいと感じる。通算安打数は1213安打と失礼だが結構打っている。バッティング重視でプレーしていたら宮本慎也の様に2000本安打を達成していたかも知れない。。いてまえ打線の導火線として欠かせない選手であった。引退後はコーチとしてもその手腕を発揮している。学生時代培ったキャプテンシーをいつか監督として指揮を執る姿を見てみたい。