◆選手名

148 Rスチーブンス ROOKIE

#148R・スチーブンス

ROOKIECARD

思い出の猛牛戦士

近鉄在籍(1994-1995)

『13試合で10発男はメジャードラ1』

1994年新外国人選手として来日。サイパンキャンプで合流した新戦力は2日目で首脳陣の目を引き付けた。『ビデオで見たよりも広角で守備も動きが良くて柔らかい』と絶賛だった。エンゼルスにドラフト1位入団し3Aでは本塁打争いの常連で当時・ホセ・カンセコと新人王争いを演じた『ウォーレン・ジョイナー』を放出させてまで1塁を空けて待っていた。しかし24歳の若者にはいきなりメジャーのレギュラーの座は荷が重く約100試合出場するもトロントへ移籍する。しかしそこでも当時世界一軍団ブルージェイズで結果は残せず3A生活が続き日本行を決断する。来日直後にブライアントがアドバイスしている。僕が日本に来た時は外国人枠が2枠で日本に来て直ぐに1軍でプレー出来ると思ってたんだがそううまく行かなかった。でも今は4人の枠があるから日本で一生懸命頑張ろうと言う気持ちを忘れなければきっと成功する。『忍耐が大切』だよ・・と語っている。言葉通りシーズンに入って成績が残らず、ダメ外国人の仲間入りか?と思われたが後半巻き返し94年は93試合で本塁打20本を放った。長距離砲と言うより巧打者のイメージがあり2ベースが多かった記憶がある。翌年は開幕から13試合で10本塁打と開幕2桁本塁打記録を塗り替えこのペースだと王の記録を抜くとまで言われ、『33番』はリベラ・トレーバーと言った選手がつけた番号だったので『化けた!』と思ったが、最終的にフタを開けたら23本に終わった・・打率も2割4分程度だったのでこの年限りで退団となった。アメリカでは人気が上がり帰国後はレンジャーズ・エクスポズ・インディアンズと渡り歩いた。2002年に引退している。リーの退団が無ければタフィ・ローズの入団が無かったのかも知れないから縁とは凄いなーと感じる。