#163 小池秀郎
ROOKIRE CARD
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1993-1999・2002-2004)
『ロッテも中日も嫌い?小池君・・』
亜細亜大学より1992年ドラフト1位で入団。同期には3位内匠政博・5位に大島公一(共に日本生命)がいる。この小池、大学時の1990年のドラフトでは後の同僚となる野茂英雄に並ぶ8球団から指名を受けた事で有名であるがこの時はカネやん率いるロッテが交渉権を獲得。しかしドラフト前ロッテは指名しない事をほのめかしていたにもかかわらず指名した事・小池はカネで動く・・等の噂が立ちカネやんが裏金を持って交渉しに行ったこと等が亜細亜大の矢野監督の逆鱗に触れ『ロッテには入れたくない‥』事を公表した・・これに対し小池も『ロッテにだけは行きたくない!』と発言しロッテファン・関係者を敵に回した。松下へ進み1992年のドラフトで近鉄入団。同リーグに入団した事によりロッテ戦ではブーイングやヤジ、横断幕等があったのを覚えている。。そーいや近鉄にもおったなー桧山って言う投手で背番号が24で『近鉄なんか1億円貰ってもいかない!』てなこと言って結局入団するもウンともスンともで高村に24番を譲ったのがおりました・・(余談)で初年度は27試合に登板も3勝4敗とドラ1と言う事を考えると成績はいまいちであった。2年目から先発での登板が増えたが確か初先発での初勝利はロッテ戦だった記憶がある。それでまたロッテファンの怒りを買った・・小池に対し藤井寺時代の強い印象は無かったが、ドーム元年の97年に本領発揮し開花する。初の2桁15勝を挙げ最多勝を獲得した。翌年からエースとして期待されたが7勝に終わり負け数が先行した99年オフに佐野と共に中日へトレードされた。これはウル覚えだが確か星野監督が小池が欲しい事を強くプッシュし88年のブライアントの件等を引き合いに出した?と当時記事か何かで読んだ覚えがある。。小池は中日球団に条件を出し大阪から名古屋まで通いでも可能なら・・と言う条件で渋々入団。しかし成績が悪い状態が続くと星野監督の怒りが爆発し大阪から通う事を禁止し名古屋に住む事を命じた。これに対して反発し結果自由契約となり2002年近鉄に復帰する事になった。。近鉄復帰後は中継ぎとしてマウンドに立つが全盛期の様な活躍は出来なかった。投球フォームもサイドスローになった。2004年オリックスとの合併で新球団・楽天に移籍するも同年の2005年限りで引退。引退後はNOMOベースボールクラブ兼任コーチとして登録したが成績は残せなかった・・近鉄球団のサウスポーとして最後の最多勝投手となった。チョットしたタイミングの狂いで本領発揮言出来なかった選手の一人ではないか・・と思う。ピークだった亜細亜大学から入団していればともっと勝ち星を増やし最多勝も1度でなく獲得出来たんじゃないかと思う・・