◆選手名

177 高柳出己 ROOKIE

#177高柳出己

ROOKIE CARD

思い出の猛牛戦士

近鉄在籍(1988-1995)

『あ~10・19で投げた高柳かいな』

87年ドラフト1位で日本通運より入団。同期には木下文信・松久保新吾・加藤正樹らがいる。入団直後には仰木監督がえらく惚れ込んで『阿波野に続いて2年連続の新人王間違いなし』と太鼓判を押していた。また本人も『同い年の阿波野は宿命のライバル!』と語っていたが、キャンプで同部屋になり『いい友達』になったらしい・・しかし山崎とは勝ち星を競い合っていた。趣味は車とドライブ・コンサートも好き(MyBuffaloesより)で、5000円で買ったチケットを妹に10000円で売ったらしい・・契約金は遣わず銀行に『眠らせて・土地を買う』と語っていた・・187センチの長身から投げ下ろされる速球と大きな手で挟んだ145キロ近いフォークボールは監督からも期待され新人年から使われ続け8勝を挙げた。印象的なのは10・19か翌年の10.12のダブル・・・ の先発くらいである・・

ちなみに10・19は『阪急身売り』が報道された日だが、実はこの日は阪急電鉄の前身の『簑面有馬電気軌道』が設立された日であった。(そんな日に身売りするか・・普通・・)それはさておき・・10・19川崎決戦に話を戻し、第2試合はいきなり『おさかな、くわえた~♪マドロック~追いかけ~て~♪裸足でかけてく~陽気な有藤~♪(サザエさんの曲・・この日ミスターロッテは陽気ではなかった)』の応援歌に乗せて解雇が決まっていた、ビル・マドロックがメジャー首位打者4回の意地の一発をレフトスタンドへぶち込んだ・・『いった~っ鋼の身体!マドロック一閃!』とアベロクさんが叫んだ!近鉄も反撃し大石出塁・ブライアント敬遠でこちらも元メジャータイトルホルダー・オグリビーが燃えた!気持ちでセンター前で同点に追いつき・更に吹石徳一・真喜志の本塁打で2点差とした。こういう時の展開では伏兵が活躍するとそのまま行ってしまうケースが多いのだが一筋縄では行きませんでしたわ・・そうそう9回のセカンドランナー古川は高柳の先輩ってご存知でした?(※オリンピックで金メダル獲得)あの牽制球は明らかに古川が小柄な大石が捕れず『暴投でセンターへボールが抜けた』と判断してベースを離れた・・で大石がキャッチしていて降りた所に古川がいて『タッチアウト』となった。と思う。

川崎・10・19』は素晴らしい激闘で球史に残る試合だった・・が個人的にはあまり特別ではない試合だ・・別に『俺は他の近鉄ファンと違う!』と『通ぶってる』のでは無く、『あの展開が近鉄そのものであるから・・』別に88年に始まったわけじゃない・・5点差あってもひっくり返えされる・・5点のビハインドでも逆転する。マジックが点灯しても天王山で西武に連敗して消滅する・・あの試合やこの試合で取りこぼしが無ければ・・が1試合でもあれば86年・88年は優勝していたと思う。逆に80年・89年・01年はその逆で優勝は厳しい・・または無理という状況でミラクルで優勝にこぎつけた・・そんな球団なのである。4度のリーグ優勝を成し遂げたが楽に勝てた優勝は一度もなかった。そしてそんな豪快さ・粗さ・不器用さが一度も頂点に立てなかったのだと思うが、これこそが近鉄の最大の魅力であり球団消滅後も含め40年以上も愛し続けている理由・・

『この魅力こそがいまだに他の球団を愛せない理由なのである!!』

話は高柳&10・19に戻しまして・・

他の近鉄のファンの方の様に『10・19』について深く語る気はないが、しいて言うなら『コンコルド淡口憲治』に印象が残った・・と言うのは第一試合9回3対3で迎えた打席でインローの球をうまくすくい上げライトフェンス直撃の2ベースを放った。その時の1塁ベースを回る時の走り方がベテランのベースランニングではなかった・・2塁上で淡口はまずはパン!と手を叩いた。そして右手でくの字にしてグッと拳を握った・・当時は『淡口珍しく感情的やな‥気合入ってんな・・ここでチャンスメイク出来て嬉しいんやな・・』と思っていた・・しかし何度も見ると『どうして入らなかったんだ!チクショー』と悔しがっている事が分かった・・連戦・総力戦の壁の向こうにある栄光を勝ち取るのにベテランも若手も関係なかった・・そしてもう一つは第二試合の9回2アウト満塁で愛甲の詰まったあたりを懸命に走ってグラブの先っぽで拾ったプレーに感動した・・最初は『定岡正二がゴネた詫びの代わりで来た』印象だったが移籍後の活躍は完璧な猛牛戦士だった!総力戦で死力を尽くした結果は残念ながら報われなかったが、この話は2年かけて『2部作』で完成するストーリー(88年・89年で完成)なので88年は今となればこれで良かったのである。近鉄ファンが増えたのもこの時期からで喜ばしい事だった。。仰木監督曰く『この10・19があったから今のワシがある・・』と話したと言う。。元々話下手でミーティングでは選手が心配する程だったが90年代に入ると『仰木・マジック』と呼ばれる様になった。

高柳は翌年の『ブラ砲4連発』の10・12の第一試合に先発してる。。結果はご存じの通りで連勝し優勝へ加速したのである・・因みにこの日は1978年『国土計画』がクラウンライターを買収を発表した日であった・・

高柳について話すつもりがかなりソレてしまいましたが愛娘の『高柳愛実』ちゃんが芸能界で活躍している。お父ちゃんに似ている部分はあるが『美人である‥』選手としては短命であったが、登板した試合が『大舞台』で投げるのが印象的な投手であった。