1951年プロ野球よもや話
「別所引き抜き事件」
東・西人気チーム・巨人と南海が2リーグ制後、初めて激突したシリーズで別所引き抜き事件以来初のシリーズ対戦となった・・
そもそも『別所引き抜き事件とは』・・
1948年~1949年に起こった事件で南海での待遇が悪い事を漏らした事から始まり1947年に30勝を挙げ翌1948年には優勝に貢献しホークスのエースとして活躍していたにもかかわらず年棒の値上げ交渉をすると『実働年数が少ない』一人だけ特別待遇は出来ないなど・・球団から言われ交渉が難航する粘り強く交渉をし一軒家と年棒アップを訴え一軒家は手に入れるが年棒はアップはされ無かった為、交渉は決裂した。
元々巨人入団を希望だったが、当時はドラフト制度もなく自由競争でしかも本人よりも親権者による契約が優先された時代で本人の意見は受け入れられる事無く南海へ入団した。それを聞きつけた巨人が水面下で働きかけ後に巨人入団を前提とした借用書が見つかっている『巨人入団をした暁には・・』一説には1948年シーズン中にも巨人と接触があったとされているが別所自身は(自身の著書の中で)否定している。
しかし巨人はタンパリングを認め罰金10万円を支払った。別所自身も2か月間出場停止処分を受けその後、巨人へ入団した。これがいわゆる『別所事件』である。。
『昔からこんな事やっとんねんなー黒いのはユニホームだけにしときやー』
水原(巨人)鶴岡(山本・南海)第一ラウンド
この年からフランチャイズ球場を使用したシリーズが開催され巨人(後楽園)南海(大阪)の両チームで開催される初の日本シリーズとなった。
後楽園は戦前昭和12年に開場され(小石川後楽園に隣接していたので後楽園)1987年のシーズンをもって翌年のドーム開場に伴い歴史に幕を閉じた。
一方、大阪球場はGHQマーカット少将の鶴の一声で難波駅のど真ん中(専売公社跡地)に建設された事から関西人から『難波球場』と呼ばれた。正式名称は『大阪スタヂアム』。南海主催としては1988年が最終年となった・・話は1951年に戻し・・東西の人気チームが激突する注目のシリーズ大阪スタヂアムでのシリーズ第一戦は『戦後初の完全試合男』藤本英雄が10安打を打たれるも完封勝利を収めた。
そして第2戦因縁の対決 別所毅彦が登場!対するホークスは安定感抜群の柚木進が(1951-1952防御率1位)マウンドに立った。
南海は初回のチャンスを潰すと流れは巨人へ・・満塁から別所自身が2塁打を放ち3点を先制。その後も巨人は青田の本塁打(リーグ2冠王)を放ち攻撃の手を緩める事なく、終わってみれば2試合連続の完封勝ちとなり敵地で2連勝を飾って後楽園に帰る事になった。
『あ~難波球場のすり鉢みたいな傾斜、がんこ寿司やあぶさんの看板・・場外には馬券買うおっちゃん・・
観戦しながらのシュウマイが美味しかったなーガラガラのスタンドに鳴り響く大太鼓の音と汚くないヤジ・・
懐かしいな~(泣)』