1953年プロ野球よもや話
『松竹ロビンス消滅・・』
セ・リーグ初代優勝チームの松竹ロビンスがこの年をもって合併し消滅した。
1950年オフに西日本と西鉄が合併しセ・リーグの球団数が8球団から
7球団になった事で日程が組みにくくなり1球団減らした6球団にすべき
と言う声が強くなり、今シーズン『勝率が3割を切ったチームに処罰を与える』
事を決定した。当初は戦力的にも広島が対象チームになると考えられていたが
7月に松竹が大きく負け越し2割8分8厘でシーズンを終える事となった・・
シーズン終了後、6球団にする為、様々な球団との合併案が出され最終的に松竹は大洋との
対等合併に合意し球団名を『大洋松竹ロビンス』に変更した。
しかし1955年には松竹が球団経営から撤退しが球団名が『大洋ホエールズ』に
戻された。初代セリーグチャンピオンはわずか2年で歴史に幕を閉じた事になる
『関西の球団は昔から合併・身売り話に事欠きまへんな・・』
『水原VS鶴岡 第3ラウンドは初の最終戦へ‥』
このシリーズはタイトなシリーズだった・・新幹線も走っていない時代に移動日なしの東西決戦だった。。しかも通常1・2戦(本拠地の場合)3・4・5(敵地開催)6・7(再び本拠地)と言うのが現代でも続いているが、この年は変則的で1・2戦(大阪)3・4戦(後楽園)5戦(大阪)6戦(甲子園)7戦(後楽園)だった。7戦中5戦が関西で開催され南海有利に思われた。しかも移動日なしの7連戦である・・鶴岡親分はじめホークスにはチャンスであった・・
迎えた第1戦。前日は雨の為順延となったがこの日は打って変って晴天となった。南海 大神・巨人 完全男・大友工が開幕投手だった。大神は昨年に続き2度目の開幕投手だった。大神・大友共にシリーズ未勝利だった。。
先制したのはホークス・・大友の立ち上がりを責め4連打で一気に2点をもぎ取った。この後、大友は立ち直り味方打線の援護もあり同点に追い付きその後3失点でマウンドを降りた。シリーズ3回目となった延長戦に入り『引き分けか?』と思われた12回裏・救援に出た別所を責め立て一死満塁のチャンスを迎えここで山本監督は(鶴岡)代打を告げる・・選ばれたのは老練代打者『村上一治』だった。打球はレフト前に飛びサヨナラ勝ちだった・・夕闇迫るスタンドから紙テープが放り込まれサヨナラ打を放った村上(コーチ)は選手から胴上げされた ・・雨天中止から始まった第1戦は延長まで続き漸く決着がついた。これでシリーズ3年目にして初戦初勝利となった。残念ながら柚木にマウンドを譲った為、大神のシリーズ初勝利はお預けとなった。