1953年1955プロ野球よもや話その2
『パリーグ初の完全試合・近鉄・武智文雄』
6月19日対大映戦(ダブルヘッダー)第2試合でパ・リーグ初となる記録が達成された。『完全試合』である。5年前の巨人・藤本英雄に次ぐ2人目であった。投球数89球・三振は9個と打たせて取るまさに武智の真骨頂であった。9回大阪球場の観客がその大記録に固唾を呑んだ・・最後のバッター増田の放った打球が二塁手山本のグラブに吸い込まれた・・午後8時58分だった。その瞬間球場が一気に沸き上がった!この日は外角低めに決まるカーブと打者の手元でホップするシュートが決まり大映打線を翻弄した。当時の近鉄だから・・5回をパーフェクトに抑えていた武智に対して記者が『武智がパーフェクトか?』と半分冗談交じりで話し出したと言う・・7回に入り5年前の藤本の完全試合について資料を集めだした。チームも意識し固くなり始めた・・7回・3塁小玉が正面の打球をファンブル‥しかし冷静に処理した。また8回・小玉と戸口が揃ってジャッグルしヒヤッとさせた・・この様子を見ていた記者達が藤本の記録以降に別所(巨人)栄屋(阪神)が9回あと一人で記録を潰していただけにそれが脳裏に浮かんだ。記者の中には『武智!気を抜いたらあかんぞ!』と仕事を忘れて声を出す者もいた。迎えた9回大映・先頭の杉山を遊ゴロ・続く代打の山田を投ゴロに打ち取ると大観衆の期待と眼がマウンドに注がれた。『あと一人や!』と叫ぶファン。打席には増田が立った。初球ボール・・2球目はストライク・・1-1からの3球目増田のバットが動いた!打球はフラフラと上がったセカンドへの内野フライだった・・『試合終了!』勝利の女神は彼を見離さなかったのである。ベンチから全選手が飛び出し武智に駆け寄り握手で迎え武智は普段通りの自然な表情で『ニッコリとほほ笑んだ』そして武智は記者の問いに『チームみなのお陰ですよ!』と特徴のある糸切り歯でほほ笑んだ・・因みにプロ初勝利も大映戦でスタルヒンと投げ合って初勝利を収めてた相性の良い相手であった・・5年前に達成した藤本英雄の記録からほぼ5年後の達成であった(1950年6月28日)この後近鉄投手陣を支えコーチに就任し同じ横手投げの『佐々木宏一郎』を鍛え1970年10月6日佐々木は完全試合を達成する。背番号も同じ16番だった・・(史上11人目)その後・球界を去り西陣織のネクタイ『パーフェクト』を立ち上げ長年に渡り活躍されたが2013年永眠。(享年86歳)
1955年 日本選手権シリーズ 大阪球 ボックス席
『初先発・南海・小畑の活躍でホークス連勝』
巨人先勝で迎えた第2戦。この日は快晴の日曜日と言う事もありバックスクリーンを開放する程の観衆が詰めかけた。両軍先発は敵地で勢いに乗り本拠地へと帰りたい巨人・大友・・一方ホークスは前日中継ぎでマウンドに上がった小畑正治で幕が上がった。小畑の立ち上がりは緊張から先頭にストレートのフォアボールを与え不安視されたがゲッツーで切り抜け無失点に抑えた。ホークスは2回飯田徳治の本塁打で先制。小畑の初回の緊張が噓の様に立ち直り、要所要所で抑えた。唯一のピンチは6回1死1・2塁で柏枝が内野ゴロを放ち万事休すかと思われた・・木塚がそのままベースを踏んで1塁への送球が高く判定はセーフ。その間に2塁ランナー南村が本塁へ突入したが一塁杉山が慌てず本塁へ送球しタッチアウトで無得点に終わった。その後、ホークスが追加点を奪い終わってみれば巨人を2安打小畑ー中村のリレーで0封抑え1勝1敗のタイに持ち込み頂上決戦舞台は後楽園に移す事になった。