1958プロ野球よもや話
『スーパールーキー・長嶋茂雄デビュー』
プロ野球ファンであればこの名前を知らない者がいてはならない名前である。ハッキリ言って巨人は嫌いだがそれでも戦後のプロ野球を変えた・盛り上げた人物と言う点では尊敬に値するスーパースターである。それまでのプロ野球に対して『神聖なる野球を金儲けの道具にしている』と言う人が多かった時代に大学野球のスター長嶋がプロ野球に入ると言う事でプロ野球人気に拍車が掛かったと言われた。立教大学からプロ野球界に飛び込んだ長嶋だが、ここで一筋縄では行かないのがプロ野球(巨人)なのである。。長嶋が学生当時から同僚の杉浦忠と共に随分前から先輩・大沢昌芳(啓二)を通して話し合いがされ結果『南海入団への同意』それからは月2万円の小遣いが支払われており当時ドラフト制度が無かった時代・本人が希望する球団に入る事が出来た事から大沢は2人を囲った・・しかし蓋を開けたらご存じの通り南海・杉浦忠 巨人・長嶋茂雄の誕生となった。巨人へ入団した理由は諸説あるが入団直前にシブチン南海が本領発揮し契約金から入団するまで渡した30万円(※大学の初任給が1万円の時代)を差し引くと言う話が出て不信感が湧き、その話を聞きつけた巨人がさらった形となった。因みに 契約金は南海の方が多かったとされる。何れにしても逃がした魚は大きかった・・しかしこの事件が1959年の『杉浦4連投・4連勝』繋がっていくのである。入団後・新人ながらいきなりトリプルスリーを達成。本塁打王・打点王の2冠を獲得し打率も2位で新人年から3冠王の可能性もあった。長嶋茂雄についてはマニアが沢山いるので長嶋茂雄について何も知らない者がああだ・こうだとは書かず(書きたくもないので^へ^)このくらいにしますが1988年に殿堂入り。その際、一緒に表彰されたのが大学の大先輩『西本幸雄氏』だった。また長嶋茂雄氏は近鉄優勝の話題によくかぶるお方でした・・1979年近鉄優勝の際、監督解任・2001年近鉄優勝の際も『長嶋監督・勇退』と紙面や週刊ベースボ―ルの表紙を盗られた記憶がある。。2001年は球史に残る優勝決定試合にもかかわらず残念であった。。しかし最初にも述べた様に戦後のプロ野球を盛り上げ現在の流れを作り貢献された人物には変わりなく松井秀喜はともかく『国民栄誉賞』には値する人物だと思う(※遅いくらいですな・・)明るくチャンスに強くプレッシャーのかかるジャイアンツのホットコーナーと4番に君臨し『V9の黄金時代を支えた英雄である』長嶋茂雄は間違いなく後世に語り継がれるスーパースターである。
1958年 後楽園球場 日本シリーズ第2戦
『日本一奪還なるか!巨人怒涛の2連勝』
1956年から始まった三原ライオンズVS水原ジャイアンツ因縁の第3ラウンド。これまで2年間は三原脩に軍配が挙がりこれ以上負けられない巨人はまさに『背水の陣』で挑んだ58年シリーズ。開幕戦は新人・2冠王の長嶋茂雄が初戦から活躍し前年度までの流れを払拭してシリーズ4連勝中の稲尾をノックアウトし先勝した。そして迎えた第2戦。昨日よりも多い35,953人の観客が後楽園に詰め掛けた。先発は西鉄・島原。対する巨人は堀内(庄)がスターターとなった。1回巨人は昨日の勢いそのまま島原を攻め立て広岡四球・捕逸・坂崎右前・広岡生還しさらに与那嶺遊撃右・長嶋四球で無死満塁とすると早くも西鉄・畑にスイッチするが波を断ち切れず藤尾にライト前を許して2者生還。川上死球で再び満塁にし宮本レフト前で2者生還・・この回結局5安打3四死球で初回から7点を献上する事になり第2戦は初回の7点で勝負有りとなった。巨人は幸先よく2連勝して福岡に乗り込む事になるがこのシリーズ簡単に終わるシリーズではなかったのである。。