#239 金村義明
ROOKIE CARD
裏面
バッティングの『ィング』の『ン』の上が消えている。『素質』のひらかなの
『そしつ』のバランスが悪い。。
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1982-1994)
『猛牛の若大将~』
報徳学園時代には投手で全国制覇。鳴り物入りで近鉄へドラフト1位で入団。
金村は子供の頃から根っからの阪急ファンで阪急入りを表明していた。
阪急の提示額が前年の原辰徳と同額の8千万+200坪の土地を提供と言う
内容だった。そんな相思相愛な関係に割って入る球団があった。。
近鉄だった・
ドラフトのフタを開けると、近鉄が交渉権を獲得・・
『近鉄球団は渋ちん球団・・』
交渉の席で『ウチは阪急さんより大きい会社ですよ・・』
阪急が土地を契約金とは別に用意してくれる事などを話すと
『ウチにも不動産の部門がありますので・・』と言われ阪急より良い条件での
提示により入団を決断・・しかし入団すると条件が違い、土地に関しても
『契約金沢山払うとんねんからそこから買うたらええがな・・
社員割引にしたるわ・・』と言われ母親が球団に激怒!がめつい親子と思われた。
『阪急より大きい会社と言っただけで阪急より多く出すと言った覚えがない!』
と言い、契約前に約束してくれた球団社長と代表が辞任し一筆書いていなかった為
球団側主導で契約が進んだ。。
当時近鉄のスターの鈴木啓示の年棒でさえ上がらず記者会見まで開く始末だった
『19・20歳の若造が・・ようさん貰うとんのに・・
ワシは球界の宝やで!』と言い放った・・当時7000万前後だった
シブチンの近鉄と言えば金村の契約更新の際も
『今年子供が生まれたんでせめて、おしめ代位アップしてくださいよ・・』
と言うと『分かった、アップしたろ!で今おしめ1枚幾らするんや?』と言って
本当におしめ代だけ上げようとした・・また選手会長の時にサロンに
自動販売機が欲しくて球団へ直訴すると自販機設置もお金を自分で買わなければ
いけない様な自販機で、特に阪神・巨人から移籍した選手が自腹に驚いたと言う。
なので近鉄選手の尻のポケットには小銭がジャラジャラしていたらしい・・
このセコさがあったのでパリーグ唯一1950年から2004年まで球団名が
変わらずに存続出来たのだろうと思う・・
話が変わるが歌手デビューをしていたのを御存知だろうか・・
村上隆行と結成した『ニューウェーブ・インフィルダーズ』である。
これがジャケットである
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ミラクル・ファイブ マジカルシックスって何?どういう意味なんだろうか・・
多分、この言い回しは『グリグリ~オグリビーッ!』や『グローリー阿波野』等の
言葉を発した安部憲幸さんが命名したに違いない・・
タイトルにしたがよく金村が『~の若大将』と言われたり記載されてきたが
上の写真を見て頂きたい・・明らかに巨人原辰徳を意識したショットである・・
同じサードやしなんか原辰徳の写真を真似して時代に乗っかってるな・・
何させられてまんのん・・ホンマに・・(TーT)場所はお倉ケ浜やね・・
良き兄貴分としてチームのまとめ役だった・・現役引退後は分かりやすい
解説と『プロ野球漫談家』?として活躍している。