- #254久保康生
ROOKIE CARD
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1977-1988・1996-1997)
『この顔・・京山幸枝若やがな・・』
いきなり、マニナックなタイトルで申し訳ないがうちの親が生前近鉄の久保康生を
最初に見た時の第一声だった・・『京山幸枝若?』有名な浪曲師である・・
我が家には浪曲や落語のレコードが沢山ありよく聴いたのを思い出す・・
球団内では入団してから暫くは名前をもじって『ボク』ちゃんだった・・
で、本題に戻り1977年柳川商業高校よりドラフト1位で入団。背番号は『16』
近鉄で16番は球団創設時より右のエースがつけた背番号で『武智文雄』
『佐々木宏一郎』が背負った番号を引き継いだ。これは球団の期待度が伺えた。
入団して2年間は勝敗は付かず3年目の1980年近鉄V2の年に開花し優勝に貢献した
初勝利は父の日で『西本監督に最高の恩返しと父の日のプレゼントが出来た』
と当時の記事に記載されている
速球が武器で度胸満点のピッチングだった。82年に12勝を挙げこの年は井本隆と
共に2桁勝利を挙げチームに貢献した。しかしこの年を境に登板機会と勝ち星に
恵まれず89年に阪神へトレードに出る。相手はガチャン(中谷忠己)だった。。中谷忠己とは・・仰木監督曰くあのバッティングは(中谷の)投手へダメージを与えるバッティングや・・打った時に『ガチャン』とボールを潰す様なバッティングで打球は詰まりながらポトリとに落ちる当たりが多い事から名づけられた・・
『また話しそれた・・すんません・・』
このカードを最初に80年代前半は沢山カード化されている。
阪神に移籍し佐々木恭介監督の96年に古巣の近鉄へ出戻っている
その際の背番号は確か『6』だったと思う・・
ピッチャーが6番って
『山口哲治以来やなーって言うてましたなー』
選手として近鉄・阪神の投手コーチとしても手腕を発揮した人物である。