#271大石第二郎
ROOKIE CARD
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1982-1997)
『せーの、だーいちゃーん!×3コール』
『行くぞ大石~、走れ大石ーっ縦横無尽に突撃大石~』鉄腕アトムのメロディーで・・懐かしいなー
最初観た時、(まだ43番の頃)なんちゅー足の速い選手や・・と感じたのを
昨日の様に覚えている・・特に2塁からトップスピードに乗った速さは福本豊・
イチローよりも早かったんじゃないかと思う・・それくらい今も鮮明に脳裏に
焼き付いているくらい韋駄天やった。
あとは代名詞の『ツチノコバット』を顔の真横から脇を締めて
上に向けたバッティングフォームから腰の回転でクルッとバットをコンパクトに
コントロールしたスイングが印象的だった。入団2年目から一番打者で
2桁本塁打を5年間連続で放ち、84年には1番打者で年間29本もの本塁打を放った。
同じツチノコを操った福本豊氏さえ80年の20本が最高であった。。
『男前』で『足と守備が凄く』『一発も打る』これは久々の全国区のスターや!
と思ったものである・・近鉄で全国区になるのは『男前人気先行型球団』
だったので・・実力共に揃ったのは初だったかも知れない・・
そして福本豊時代に終止符を打つ『13年連続盗塁王の記録を止めた』男でもある。
記録を止められた福本は『ダイに抜かれるんやったらしゃーないわ』と語り
『ダイなんでもっと走らんのや勿体ない』とも話した。記録と言えば変わった記録
も持っている。84年オールスターゲームで江川卓が江夏豊の連続奪三振記録9に
あと1つに迫った時の最後の打者が大石でアウトコースの変化球をセカンドへ
打ち記録を潰している。『最後の球がストレートなら三振していた』と語った。
そして自身初の日本シリーズ出場で第1戦の初回先頭打者本塁打をシリーズ
初打席で放った・・しかしその後21打席連続無安打と言う記録も作った。
肩痛に悩まされ苦悩の日々が続いたが35歳で6年ぶりの盗塁王を獲得し
近鉄球団初の『1億円プレーヤーが誕生した!』しかし翌年から出場機会も
徐々に減り控えに回る事も多くなった・・
当時ファン同士で話したが、『盗塁王がなんでやねん!肩も治ったし
リードオフマン復活やのに、これは球団の陰謀かも知れへんで―』
シブチン近鉄の事やから『大石に1億も持っていかれた・・』
『これ以上あいつを使うな・・来年も活躍したらどうすんねん』
『また給料上げなあかんがな・・』なんて話を・・ね・・
(※佐野も中継ぎ初の1億円達成したら中日にトレード・・やったなぁ・・)
それでも球団初の生え抜き2000本安打達成も視野に入れて頑張っていたが
1997年『メガネの大ちゃん』は引退を決意した。。
2000本安打まであと『176本』だった・・近鉄球団が存続していたら
(たらは言いたくないが・・)梨田監督の次に就任していたかも知れない・・
近鉄の切り込み隊長として人気・成績共にナンバーワンであった。
小さな体でグランドを駆け巡り・存在は大きく感じた選手であった!
通算安打 1824本 通算盗塁 415盗塁