#69 石井浩郎
ROOKIE CARD
裏面
間違い易い事だが『近鉄90ドラフト3位』となっている。
正解は90年ではなく89年ドラフト3位である。
※ドラフト入団年月については暫く間違ったままでの記載が続く為、
説明はこのカードを最後とする。
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1990-1996)
『前略・石井浩郎です!』
昔THE・サンデーと言う番組内で『石井のコーナー』が有りましたなー・・1989年プリンスホテルからドラフト3位で入団した。この年はご存知の通り1位に野茂英雄・2位畑山俊二・4位に藤立二郎・6位に入来智が入団した。『全日本の4番』の触れ込みでファンとしては即戦力で喜んだ記憶がある・・『なんでや!プリンスやったら西武やろ!』と思ったのを思い出した・・あの厳ついエラ張った顔とデカイ耳に角刈り・・バットを構えると右腕をバットに巻き付けて左足を大きく上げた豪快なフォームは 決して奇麗なフォームとは思えなかったが『あっ、これは近鉄やがな・・』と瞬時に思った・・しかし入団直後に風疹となんかあと1つ病気にかかって出遅れた記憶がある・・しかしジュニアオールスター戦で(多分・神宮・・)MVPを獲得した・・栗橋茂・金村義明に次いで3人目の快挙だった。。この後にはMVPは出ていない・・一年目にいきなり22本を放ち主軸を打つようになる。このあと94年まで毎年20本以上の本塁打を放っている。94年には『三冠王』も狙える数字を叩き出した。打率3割1分6厘・本塁打33本・打点111(※打点王獲得)だった・・勝負強さが際立った選手だった。石井が入院した際に岡村孝子の『夢をあきらめないで』を聴いて勇気付けられファンになりラブコールし見事ゴールインした。(※実は野茂英雄がキューピットだったらしい・・)しかし95年・96年と手首の怪我の為出場できず、球団から年棒の60%ダウンを提示され『年棒調停を申請』NPBに受理された・・うる覚えになるが当時『治療費をどちらが持つか?』でこじれていた記憶がある。『うちは高い給料を君に払ってるんやからそこから出したらええがな』てな話だったと思う・・1997年のカレンダーには石井がドームユニで写っており中村紀洋は66番のドームユニで撮影している。それ程急遽の移籍だった。年明けキャンプギリギリで巨人へ移籍したと思う。トレードの相手は吉岡雄二と石毛博史か香田勲男?(香田は既にラグランユニ来てたっけ??)だった
石井の巨人デビューは鮮烈で覚えている・・横浜戦で『大魔神・佐々木』から移籍第一号を打ったのを観て
『そやから大阪から出すなって!石井を・・』と思わず言ってしまった・・のである・・
リストが強く・器用な選手ではなかったが味のあるチャンスにはどうにかしてくれるスラッガーだった。。強引なスイングにも見えたが広角に打てる選手で低めの球もすくい上げてスタンドインと言う場面も何度も見た。パワーも凄かった・・
そんな石井の応援歌は
『背番号3番の打撃センスのスゴイ奴 狙え弾丸アーチを今日も見せたれ石井♪』
一番最初は『ロンドン橋落ちた』じゃなかったかな?
雰囲気と風格を兼ね揃えたまさに『ディス・イズ4番打者』だった・・