◆選手名

70 J・トレーバー ROOKIE

#70 ジム・トレーバー  

ROOKIE CARD

思い出の猛牛戦士

近鉄在籍(1990-1991)

『豆タンク・ジム・トレーバー』

1989年・9年振りのリーグ優勝を果たし連覇が期待されたが外国人大砲2門の内の『リベラ』が90年の開幕戦のフィールドには居なかった・・噂によるとフィールド内外での『素行』が悪い・・と判断され契約は更新されなかったと言う事だった・チャンスに強いバッターで本塁打を放つとホームベースに駆け寄った『藤瀬の頭をチョンチョンと叩く仕草』がお決まりだった・・

そんなリベラに代わってやって来たのが『ジム・トレーバーだった・・』最初は『なーんか、ズングリむっくりで大丈夫かいな・・』豆タンクやがな・・と思った。体に似合わず柔らかいリストで『シュアなバッティング』だった記憶がある。広角に打て確か2年間でに50本以上本塁打を放っていたと思う・・で、来日2年目で『打点王』に輝いたのである・・近鉄の外国人ではチャーリー・マニエル以来の2人目だった・・(多分・・)そしてトレーバーと言えば『全力プレーである・・』一塁を駆け抜ける時、ボールを追いかける姿は迫力があり好感が持てた。。トレーバーと言えば珍プレー・好プレーで登場した『乱闘事件』で全国区となったが『園川に腰に死球を受け』外野まで追い掛け転倒・・そこで最初の『金田天皇の蹴りが入る』引き上げる際に顔を押さえているトレーバーが映っている。で、金村義明いわく『トレーバーは良い所のボンボン』で親にも殴られた事が無いのに『きゃねーだーに蹴られた!ネックレスが無い!』と怒っていた時にトレーバーの視界にその『きゃねーだー』が立っていて『キャーネーダー!!』と言って突進したものの手前でつまづき2度目の蹴りを受けてしまった・・『鼻血ブー』になり『奴の宿泊先はどこだ!』と試合後も怒りが収まらず『トレーバーが金やんを襲いに行きよる!』と言う話になりその日『金田監督は部屋から出なかったらしい』あと微妙な判定によく激怒しクレームを付けていた姿を覚えている・・この時代、野茂がいて石井がいてブライアント・トレーバーがいたのに勝てないのはそれ以上に『西武が強かったんだろう・・』と思う・・

85年~94年の10年間で優勝を逃したのは89年だけだが、(近鉄が89年に優勝していなければリーグ10連覇だった。。)ライオンズが優勝を逃し毎年ライオンズ恒例の『堤義明へのシーズン終了の挨拶』の際、森監督に『来年まだやるの?・・そーどうぞ、ご自由に・・』と言われ『このおっさん、きっついなーっ』と思った。その翌年は近鉄が勝てなかった巨人を日本シリーズで『4タテ・スイープ』で完全優勝を飾った・・学生の頃秋口になると西友の『優勝セール』で『松崎しげる』が『ア、ア、ア、ラーイオーンズ、ラーイオーンズ、ラーイオーーーンズ♪』って歌を大音量で聴かされた思い出がある・・『辛かったな・・ホンマ・・』なんで関西やのに『西武系列やねん・・』しかも近鉄の駅前に・・(実は理由あり・・)ってぼやいておりました・・

でもトレーバーは近鉄では珍しいタイプの外国人でした・・バッティングに荒さや波が少なかった選手でした・・あーあの頃に戻りたいもんですな・・

近鉄は優良外国人ホンマ多かったなーて思いませんか?

逆に言うと『外国人頼みやった』と言う事か・・ははっ・・

(マニエル・ブライアント・ローズ・・全部優勝年に絡んではりますわ・・)

でもそれやからこそ、他の選手も引っ張られて豪快な野球が出来たんとちゃいまっか・・トレーバーはそんな近鉄らしい外国人でした・・