打撃戦シリーズ
佐々木(宏)投手(近鉄)
プロ野球カード・打撃戦シリーズ 815
ベテラン佐々木(宏)投手
ROOKIE CARD
◆◆◆◆パラレル画像◆◆◆◆
裏面
球団旗の猛牛マーク左に白いリングが有る
珍品発見・・・
同日に撮影された画像と思われるショット。大洋戦(この当時多いなぁ・・)だったんですね・・三塁・羽田の位置は変わりませんが審判が写っていますね!カードよりも躍動感がありません?
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1963-1975)
『近鉄師弟での完全試合達成』
佐々木宏一郎と言えば『完全試合』だが完全試合達成には色々な道のりがあった。
三原・大洋にテスト入団し(120人中唯一合格)初勝利をあげるも同年オフに解雇。
理由は同じ年に同姓の佐々木吉郎が途中入団し『佐々木は2人も要らない』事が理由だった。。
(※ちなみにこの佐々木も完全試合を達成している)
近鉄の武智文雄の目に留まり移籍。サイドスローからアンダースローに変更。
武智コーチに鍛え上げられ切れの良い『スライダー・シュートを』マスターした
背番号は武智が付けていた『16』を背負った
64年には2桁勝利を挙げるが17敗・翌年は20敗という成績だった。
1967年から5年間は勝ち星先行で中心的選手に成長した。
そして1970年10月6日南海戦で球団2人目の『完全試合』達成。
最初の完全男は恩師でもある『武智文雄』である。
パリーグ初、両リーグでも藤本英雄についで二人目の快挙である。
奇しくもこの時の近鉄監督は佐々木をテスト入団させ解雇した『三原脩』だった。
鈴木啓示・清俊彦と共に60年代後半から79年代初めにかけて近鉄投手陣を
引っ張った。その後南海へトレード(完全試合の相手である)
81年に引退。(あぶさんに登場している。)
あまり知られていないが近鉄には『100勝投手がたったの3人』しかいない
それは『鈴木啓示』『武智文雄』『佐々木宏一郎』(近鉄在籍期間中で)
だけである。