首位攻防戦シリーズ
バファローズの主力打者
佐々木恭介外野手(近鉄)
バファローズの主力打者
ROOKIE CARD
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1972-1982)
『佐々木恭介』
兵庫の柏原高校(かいばら)※よく大阪の柏原(かしはら)高校と間違う)
から社会人を経て(同僚には中日・三沢淳がいた。)71年ドラフト1位で入団。
この年は『近鉄花の71年組』と言われた。そうそうたるメンバーで1位・佐々木恭介 2位・梨田昌崇 3位・橘健二 4位・羽田耕一6位・平野光泰・7位・池谷公二郎(入団せず)の中の1位指名であった。
一年目から本塁打を5本放つなど将来を有望視され74年より外野手としてレギュラーを獲得し中心選手となる。1978年には3割5分4厘で首位打者と最高出塁率1位に輝き75年に次いで2度目のベストナインにも選ばれた。
そして迎えた79年この年も好調で3割2分を打つもケガでシリーズ出場機会が減っていた佐々木に絶好のチャンスが訪れる有名なあの79年日本シリーズ第7戦『江夏の21球』である・・
私の個人的な意見だが9回裏を分析してみた。。
羽田が江夏の初球カウントを稼ぎに行った球をセンターへはじき返した。
ノーアウト1塁。ここで藤瀬を代走に送る。そして打席はクリス・アーノルド。ボール先行の1-2バッティングカウントで多分、エンドランのサイン
藤瀬のスタートが悪すぎタイミングは完全にアウトだったがボールは外野へ転がり藤瀬は一気に三塁へ・・そしてアーノルドはフォアボールで1塁へ・・
ここが私のこのドラマのターニング・ポイントと見ている・・
佐々木の三塁線への打球がフェアーかファウルかではなく1・3塁から迎えた平野の打席・お祭男・平野がこのシリーズ前打席で初安打の本塁打を放っていて対江夏にも明星高校時代から悪いイメージを持っていなかったがアーノルドの代走に吹石徳一が起用され1-1から吹石が盗塁・・
ここである。。1.3塁であれば守備体形がランナーがいる事から衣笠・三村はベース寄りに立たなくてはならないので三遊間・一二塁間は空く状態で守る必要があった・・そして最悪ゲッツーでも同点だったかも知れない。
悔しがる平野が一塁に歩きノーアウト満塁。そして佐々木に代打のコールがされる結果はご存じの通りである・・・
佐々木自身この時の経験を活かし教え子に同じ場面が訪れた時3回振れる選手を育てたい!を教訓にし金村・村上・新庄・福留などを育てている。また金村氏曰く『知っている中で試合開始から最も最短での退場者』と語っている。『エキサイティング・リーグ・パ!』『プレイボール!』『退場!』約4分間でグラウンドから姿を消した・・いきなりレフトに飛び佐々木がダイビングキャッチを試みてグラブに収めたが審判はダイレクトではなくワンバウンドと判定し『なんでやねん!』と審判の胸を突いて退場となったと話す
選手生活は10年と決して長くはなかったがコーチ・監督として手腕を発揮。2001年の優勝年に活躍した、中村紀洋・タフィ・ローズ・大村直之らを起用し磯部公一・大塚晶文等を獲得・育て上げた。
選手としても指導者としても記憶にも記録にも残る人物である。
※この写真はサイト管理者が運営する『ビークレイジー』イベントでの1枚である。