近鉄バファローズ
プロ野球カード 464
近鉄バファローズ
本拠地 日生球場
ROOKIE CARD
西本幸雄監督・太田幸司投手・阿部成宏外野手の3名は
以外にもこのカードが初登場で最初で最後となった。
(顔と名前が記載されたカードとして・・)
この当時としては太田幸司のカード化が無かったのが不思議である・・
※大人の事情ですかな・・
『日本生命球場』
1950年7月1日 南海 対 毎日戦を皮切りにプロ野球の試合21試合が開催
1954年を最後にプロ野球の試合を中止しアマチュアの球場として使用された。
その後1958年『近鉄パールス』の準本拠地として使用が決定した。
(最初は夜間だけ使用)理由として当時の藤井寺球場(パールススタジアム)には
ナイター設備がなく大阪球場を借りていた為、親会社所有の日生球場を
準フランチャイズとして1996年まで使用された。
その日生球場での最終戦でプロ野球史上に残る事件が起こった。。
1996年5月9日近鉄対ダイエー戦で3-2で近鉄が有終の美を飾ったが
不甲斐ない成績にダイエーファン・旧南海ファンが怒りバスへ乗り込むホークス
選手に生タマゴを投げつけ世界の王も例外なく浴びせられた事件である。
日生はとにかく狭く本塁打が出やすい球場で有名であった。当時近鉄の飛ぶボール
使用等の非難も受けたが相手チームにもそのチャンスは十分あった。
特に大黒柱・鈴木啓示は真っ向勝負が身上で外野フライが殆どスタンドインする
球場で『2度のノーヒット・ノーラン』『被本塁打世界一』『無四球試合78日本
記録』等の記録を残している。オリックス・ジュルジーが本塁打を放った事でも
有名である。(鉄塔にあたっていたな・・・)
90年代を迎えると球場が大きくなりスモールベースボールが主流となり真っ向
勝負や空中戦が減りドーム時代へ突入する。近鉄球団も1997年に藤井寺から
大正区へ移転が決定した為、1996年限りで準フランチャイズとしての役割を
終えたのである。
因みに『コーちゃんブーム』で一世風靡した太田幸司氏のカードはこれ1枚だけである。あれだけの人気でカード化されていないのは当時グリコとのコマーシャル契約の影響とも言われている。※この写真はサイト管理者が運営する『ビークレイジー』イベントでの1枚である。