#293 谷宏明
ROOKIE CARD
近鉄在籍(1975-1988)
思い出の猛牛戦士
『開幕投手を務めた男』
熊本第一工から1974年ドラフト5位で入団
1位は福井保夫・2位は村田辰美
4位には吹石徳一と言った面々だった。速球とスタイダーが売りで入団したが
初勝利までには5年かかった苦労人である。近鉄が一番しんどく苦しい暗黒の時代で
西本御大が去った後、愛弟子たちの高年齢化が進み新旧交代の狭間で頑張っていた
のが谷宏明である。久保・橘・小山・良川 etc・・コアな近鉄ファンしか分からな
い名前もあるが私が逆に夢中になった時代である・・谷と言えば背番号は『53』の
印象の方が強い・・後に近鉄右投手のスターナンバーである『11』を背負った。
(米田哲也・野茂英雄・吉井理人・大塚 晶文等・・が付けた事でも有名である)
谷の印象や思い出はあやめ池で開催された『ファン感謝デー』でサインを貰った事
と開幕戦を観戦した事・そして藤井寺球場で見てしまった対西武戦の1イニング
6本塁打・・確か夏休みで野球観戦に連れて行った貰った記憶がある・・
ハムの日やのに(8月6日)獅子の日(44)に球場来てもーたって言っていたなぁ
前年度石本が19勝して更にこの年もストッパーとして活躍し大好きで
球場へ石本を応援しに行き確か8回位にマウンドへ上がってにフルボッコされた
記憶がある・・西岡良洋に打たれて『誰に打たれとんねん!』って言いった矢先
新人キヨマーに放り込まれて石毛の3者連続本塁打でマウンドを谷に譲った?で、ジョージ・ブコビッチか秋山にスタンドへ運ばれ、最後は依田政彦か栄二(ヤバイ)が
大田卓司に打たれて1イニング6本塁打世界記録が達成した・・と思う・・
この年は10.19同様、ライオンズと最後までもつれたシーズンだけにこの試合が悔やまれた・6-0のリードを守れず引き分けに・・
この翌年から藤井寺球場の外野には『レオネット』が取り付けられた・・
仰木さんんが監督されていた頃に更に高いネットになったような記憶がある
この年は5勝と初セーブを挙げ終盤までの混戦に貢献したが89年に
ヤクルトへ移籍している。
先程も述べたが近鉄が一番苦しい時代の投手陣を引っ張った一人であった。