◆選手名

318 石本貴昭 ROOKIE

#318 石本貴昭

ROOKIE CARD

近鉄在籍(1981-1991)

『鈴木啓示2世と呼ばれた男』

滝川高校のエースとして甲子園に春夏連続出場。兵庫と言えば激戦区で滝川高・兵庫育英・報徳・東洋大姫路等・あの報徳・金村に投げ勝ち出場している

1980年のドラフト1位で入団している。翌年金村もドラ1なので兵庫勢から2年連続高校生ドラ1が入団した。ちなみに石本に次いで大石第二郎が2位で入団している。

他球団ではロッテに愛甲猛が入団している。西本幸雄監督が惚れ込んだとされ『若い時の鈴木に投げ方が似とる!』と言い高校生ながらオープン戦から使い続けたが初年度は結果を残せなかった・・ところが1985年に大ブレークする。

監督が関口氏から岡本伊三美監督に代わった際、左がどうしても一枚欲しかった為ファームへ行くと石本がいた。しかし彼は打撃が良いのでそっちへ回そうと・・思うと2軍コーチから話を受けたがオープン戦で何度か試すとうまく片付けるので抑えとして使った・理由は馬力がありロングリリーフが利く事だった。そしてなんと抑えだけで19勝を挙げた!前年まで3年間でたった1勝の男がやってのけた。

でもなんで抑えだけで19勝も稼げんねん?と疑問に思うが現在の様に先発⇒セットアッパー⇒クローザ―の分業制のくくりは無く当時はイニングまたぎロングリリーフでの起用が多かった為である・・(特に石本は3敗しかしていないので16も貯金が出来たのが素晴らしい所である。。

話がそれるが、投手のタイトルで最多勝は華だが20勝しても17敗する投手は意味がない・・と思う。貯金が出来て初めてチームに貢献出来るからだ・・

特にエースになると負け数を3分の1に抑えなければ真のエースとは言えないと個人的に思う・・皆さんどう思います?

岡もっさん無茶したらあかんで―と思う位投げていた。

翌年も快進撃は続き8勝32セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得した。

40セーブポイント樹立でパリーグ記録を達成

大体のバファローズファンは近鉄と言えば『10・19』と言う方も多いがその2年前にも常勝西武を追い詰めたシーズンがあった。

当時は130試合のペナントレースで西武とのデットヒートで126試合目に阪急との死闘を9回2死から栗橋が同点打で引き分けに持ち込み残り3ゲームを残して近鉄にマジックが点灯した。残り3戦のうち2勝すれば近鉄の6年ぶりの優勝が決定したのだがなんと阪急に連敗し10月9日森監督の就任一年目の西武の優勝が決定した。その後、石本は2年間の酷使がたたったのか、ストッパーとしての機会が少なくなり吉井に譲った・・10・19ではコースに対する主審の判定を不服とする中西太ヘッドを後ろから止めに入る姿が印象的だった・・

『裏方に徹する形でチームに貢献し、また吉井が2試合とも阿波野に譲る形となり彼はどんな気持ちで状況を見つめて居たんだろうと思うと心が痛い・・

引退後は近鉄の打撃投手・スコアラー等をしていた。球場でもよく見かけた石本貴昭の下の読みかなを結構大人になるまで『たかあき』と思っていた・・実際は『よしあき』である。

私の中で近鉄のストッパーのイメージが一番強かったのは石本である・・

子供の頃夢中になって応援した姿はこの先もずっと心に残り続けるだろう・・