◆選手名

10 赤堀元之 ROOKIE

#10赤堀元之

ROOKIECARD

左が『初版の小文字版』で右が『再販の大文字版』である

流通量としては再販の『大文字版が少ない

この年は『Jリーグ元年』で『Jリーグチップスも発売』されプロ野球チップスを

販売しているお店が少なく収集するのに苦労した・・

 

思い出の猛牛戦士

近鉄在籍( 1989-2004)

『ルパ~ン・シャンシェ~イ 赤堀元之』

1988年ドラフト4位で入団。同期には1位米崎薫臣・2位仲根仁がいる。スカウトは近鉄にも在籍した『小田急』事メガネの小田義人氏だった。。新人年の89年5月3日のロッテ戦に佐藤秀の後3番手で初登板し打者4人に対して1安打に抑えた。しかし6月7日ホークス戦で初先発も初回いきなり山本和範にタイムリーを浴び更にバナザードのあたりを1塁新井がファンブル・・ランナーを背負ったまま僅か14球で降板・・苦い先発デビューとなった。入団時から『先発を希望』していたが仰木監督の構想では吉井との『ダブル・ストッパー』だった。当初は嫌っていたが91年(myBuffaloesより)抑えも悪くないかな・・と述べている。ニックネームは『ルパン』ルパン三世のルパンからとったものと思われる。なのでマウンドに登場の際は『ルパン三世』のテーマソングだった事がある。

最初に生で赤堀を観たのが日生でのオリックス戦・5月末くらいだったか・・確か延長戦だったと思うが4番か5番に外国人が入っていて『誰やねん??って、お前、ピッチャーのシュルジーやんけ・・』『土井なめとんのかい!』と言ってた矢先、シュルジーが右打ちで放った打球はレフトの鉄塔『象印の看板』に直撃!!の本塁打を打たれ勝ち越されたのを覚えている。打った瞬間万歳しやがって・・嫌な思い出である‥しかしのちに記録を辿ると指名打者制度が始まって投手が本塁打を打ったのはこれが初だったらしい・・この記録はシュルジーは来日中1打数1安打1本塁打だった為通算打率10割通算の長打率が40割だそうだ。山田太郎君もビックリやわ・・石本(その他)の6者連続本塁打しかりシュルジー本塁打も嫌な試合ばっかり観てきたな・・

92年から本格的にクローザーとして君臨し始め3年連続で『最優秀救援投手』に選出され95年を除き97年まで5度の『ファイヤーマン』に輝いた。この記録は『大魔神佐々木・中日岩瀬に並ぶプロ野球タイ記録』である。当時から言っていたが『佐々木ばっかりクローズアップされて赤堀も取り上げたらんかい!!パリーグの方がレベルが高いんやぞ!』って・・言うとりましたわ・・

93年の開幕戦も『野茂が清原にフォーク投げとりゃ・・終わってたのに』あん時はテレビを生で観とりました・一瞬『新井捕ったらんかい‥』と思ったがグラブに収まらず2塁打を献上した。。鈴木監督曰く『野茂と心中や!』の割にはあっさり赤堀にスイッチし案の定準備不足で『伊東勤』にグランドスラム~で、『はい、それまーでーよー♪』『ふざけやがって×3コノヤロー!泣けてく~る~♪』byクレイジーキャッツ・・『キン(勤)!お前何をさっらっしょんねん!ボケッ』と声を大にしたのを覚えている。

歴史は繰り返され96年ドラフト2位で『大塚晶文』が入団。新人年から50試合セットアッパーとして以上投げ100奪三振以上を奪い存在感をアピールした。97年ファイアマン賞に輝いたのにも関わらず翌年・先発に転向し大塚にクローザーを譲った。またこの年『渋ちん・近鉄が異例の複数年契約』を球団史上初めて結んだのが赤堀だった。。その後は先発の機会にも恵まれず・故障などもあり辛い日々を送る事となる。そして2004年球団最後のホーム公式戦でその雄姿に会えた事は今でも昨日の事の様に覚えているし今後も忘れないだろう・・あのセットポジションから左手でバランスをとって『アゴを歪ましながら』投げたフォームは今でも脳裏に焼きついている。。近鉄球団史上・・最高のクローザーであった。