いつもの事ながら 『バファローズ』が『バッファローズ』になっている
➀野茂の背番号が 『14』になっている。パイオニアなのに・・凄いですね・・
②『バッファ君』がやっと本来の姿で載りました・・1978年後期に『B』 から
17年経って漸く3色帽になりました。。この2年後にドームへ移転するってーのに
今頃・遅いわい!
思い出の猛牛戦士
『鈴木監督との関係について・・』
いつかこの事を話したいと考えていたのでこの場を借りて話させて頂きます
私は近鉄ファンを40年以上しており鈴木啓示・野茂英雄どちらも観てきた立場から話させて頂きますとよく鈴木監督は無能で野茂を放出したダメ監督・・とレッテルを貼られておりますが、全体の選手を纏める能力は別としてエースの気持ちや立場は分かっていたと思う。実際に監督就任前の対談やサイパンキャンプ等では関係は悪くなかったと言う・・普通の投手でさえ年齢を重ねると下半身が衰える。。。野茂の場合トルネードは特に下半身に負担が掛かる投球フォームの為、より下半身強化が大切だったと話していた。
(※トルネードの原点は弓の様にしならせて体全体を使って投げたら・・の発想)
走り込みの指示は晩年あの投げ方では投げれなくなると見越した指導であったと思う。鈴木氏自身晩年は足の故障に悩まされている。。
鈴木氏自身話していたが走り込んで下半身ができると腰と下半身で投げれて肘・肩には負担が掛からないし疲れないと話す。
『投手たるもの走るものなり!ボールは足腰で投げるものなり!』
を監督時代、投手陣に教えたかったのだろうが、ビッグワン鈴木の性格からすると『ワシはこうやった!』『ワシはこれで成功した』等を押し付ける様な指導が有ったのではないかと推測する。。
同年代を野茂と近鉄投手として過ごした方の話だが丁度時代の境目だったと言う。。
アメリカで修行しその経験を生かしたトレーニング指導を取り入れた立花龍司氏は走り込みより主にエアロバイクでランニング代わりに下半身強化を補っていたと言う。。(勿論、ランニングも取り入れていた)
昔の人間からするとそう言った事が気に入らなかったのであろう・・
(※そう言えば最近軸足のひざが汚れている投手がいなくなったなぁ・・・)
野茂の晩年はトルネードには程遠いフォームで時にはサイドスローで投げていた事もあった。打者を次々となぎ倒した強烈な『竜巻』は徐々にマウンド上で発生しなくなった・・ひねった時のタメが出来ない為にウエイトが乗らずに手投げになり球速も落ちフォークの切れも悪くなっていった。。
『タラレバ』は第三者なので言いたくは無いが下半身強化を更にしていれば選手寿命が少し伸びていたかも知れない。。
鈴木監督が良い監督だったとは思わないが自分が現役時代自慢の直球を打たれればしょうがないと言う考えで野球をしていた。6年連続20勝の記録が途絶え、相手に読まれ勝ち星が減った時に恩師西本監督から『スズ、お前のマスターベーションでは困る!』お前が投げた球を打たれて『打たれたらしゃーない』じゃ駄目なんだ!このチームのエースなんだから『エースならチームの事を考え負けを減らせ』と毎日ブルペンに来ては話す監督に根負けし漸く速球派からイメチェンをはかり成功し300勝へ到達した。。
自分の経験が野茂にマッチしたかは疑問だが自分の経験を伝授したかったのだろう。。野茂自身も年々西武ライオンズに攻略され130球を超える試合が殆どだった。2者連続フォアボールかと思えば2者連続三振を取るピッチングをよく観た。
メジャーへ行き成功した事で『野茂神話』が出来、近鉄時代もバッタバッタ三振ショーだったと思う人も多いが実際は三振も沢山奪うが球数が多くリズムが良くないイメージだった。次第にフォークを見極めカットされゲームの終盤には急速の落ちたストレートを痛打されるケースがあり観ている方は疲れる事が多かった。。
アメリカに行ってからスリムになり球のキレが増し縦の変化に弱いメジャーの選手は振ってくるのでアメリカで野茂英雄は受け入れられた。しかしあのまま近鉄に残りエースとして君臨し毎年のように最多勝争いできたかは分からない。90年代前半と言う時代が良かった・・力と力の勝負!『野茂対清原』『清原対伊良部』それまでも数々の勝負があった・・しかし90年代後半にかけ『ドーム時代が到来』しスモールベースボールが主流となった。。打者も『俺だけ打てば・・』ではなく『繋ぐ野球』の中で『年々落ちるストレート』と『落ちなくなるフォーク』130球近く投げる制球力では厳しかったのではないかと思う・・2008年まで現役はおろか201勝の栄光とパイオニアとしての称号や勲章も手に出来なかった可能性は高いと思う。
4年間もフルで活躍し球団にも十分利益と知名度をもたらした功労者でさえ半年間故障で戦力にならなかっただけでそれまでの貢献を無かった事にする様な球団・・阿波野・小野・石井・ブライアント等の成績が下がると『お役御免!』の球団が果して『高給取り野茂』を球団が面倒見れたか?である・・『北川の優勝ホームランを見て舌打ちする』『中村紀の5億のせいで身売りする』等と平気で言う球団がだ・・
よく『ダルビッシュ』と『江夏豊』『田中将大』と『稲尾和久』どちらが凄い?と言う論争がネットなどで見られるが『仮面ライダー』と『ウルトラマン』どっちが強い?と同じ質問である・・球場の広さ・ボールの質・データの量・登板間隔・年間試合数・食べ物・調整法等が時代で違うので比較出来ないのである・・私もよく長嶋世代の方にどんなに凄い選手の事を言っても『あんなん、長嶋に比べたら・』と言われる度に『いやいや、現役時代の長嶋知らんし・・』となる。。
何が言いたいかと言うと『鈴木は野茂を放り出したダメな監督!』『野茂は海外でしか活躍の選択肢が無く頑張って栄光を掴んだ国民的ヒーロー』となるが、
私にとって
『鈴木啓示も野茂英雄も同じ近鉄の選手として素晴らしく私に生きる活力を与えてくれた大好きな2人である』
結果オーライかも知れないが、野茂は長い目で見ると海を渡って正解だったと思うのである。。一方鈴木啓示は現役時代から『王様・ビッグワン』だったので意見する者や叱る者が少なかった為、独裁色が強かったのではないか?と感じた。引退後・直ぐに岡本政権でコーチ経験を積み選手との温度差を埋めてから監督へステップアップすべきだったと思う。実際、仰木監督時代にコーチ要請があったそうだが『鈴木にコーチは似合いまへん!』と言って断ったそうだ・・この辺りが鈴木啓示と言う男には監督業は厳しかったのかも知れない・・
勝っても負けても近鉄が好きであったし野茂英雄という男に何度も賞賛の声を送ったので大好きである。しかしこの話を近鉄ファンではなく野茂英雄ファンとの話になると口論になる事が たまにある。
『そんな自称野茂マニアはいったい何人が日生や藤井寺に足を運んでくれたであろうか・・』これはイチローファンにも言える事である。。
で何を言わんかとすると鈴木啓示は自分の経験を活かし体を壊さず1年でも長く投げたかったら人の何倍も走り込み三振を取りに真っ向勝負ばかりではなくチームの勝ち星優先で負け星を減らせるエースになってくれ・・と自分の経験を踏まえて指導したかったのであろうがお互い我が強くうまく伝わらなかったんだろうなーと思う・・タイプは違えど間違いなく近鉄のみならず日本球界を代表する投手には間違いない事は事実だし近鉄ファンとして誇りに思うスーパースターである
近鉄入団から引退までで『200勝以上』し『殿堂入り』はこの2人だけである。
2人は『ウルトラマン』と『仮面ライダー』でどちらがどうと比較してはいけないのである・・
皆様はこれを読んで『お前何を好き勝手に言うとんねん・・』とお叱りの声も聞こえますがあくまでも私の主観ですのでご勘弁願います・・