#85 山本和範
ROOKIE CARD
思い出の猛牛戦士
近鉄在籍(1977-1982・1996-1999)
『ドラちゃんピッチャーやめや・・で変わった人生』
1976年戸畑商業高からドラフト2位で入団。同期にはドラ1久保康生等がいる。実はこの前年入団テストで合格し巨人への入団の話が持ち上がったが高校だけは卒業して欲しいと両親の強い希望により断念。しかし翌年巨人からは指名されなかった。指名したのは近鉄であった。投手として入団しキャンプを迎えたが、ある日練習を終え帰ろうとした時、忘れ物を取りにベンチへ戻った時、仰木コーチに言われた一言が衝撃的であった。
『ドラちゃん・もうピッチャーやめや。』少しコーチは酔っぱらってたので冗談かな?と思ったそうだが翌日から練習場がブルペンから野手のグラウンドに代わった。その時ノックの打球の速さに驚いたそうだ。ピッチングよりバッティングを買われたのである。同郷の仰木さんのこの世界で生き残る為の計らいだったかも知れない。。実際2軍では3割台を残す年が続き西本監督はオープン戦の時期やシーズン途中に1軍から声が掛かるも24試合に出場し2安打1本塁打と言う結果だった。翌年も数試合出場するが西本幸雄氏勇退と共に戦力外通告を受ける。福岡で働く事を考えていたが同級生(実際は1歳違い)久保康生が引き止め大阪に残りバッティングセンターでアルバイトをしていた所、2軍でのプレーを見ていた当時南海2軍監督・穴吹氏の評価は高く自身が一軍監督へ昇格する事もあり南海への入団が実現した。
南海移籍後は近鉄にとって本当に嫌なバッターだった。全力プレー全力疾走する姿は直ぐにホークスファンの心を掴んだ。そして2億円プレーヤーにまで上り詰めたのである。しかしゲーム中にファウルボールを補球する際右肩をぶつけ亜脱臼し年齢・2億円の給料がネックとなりホークスを退団する。ホークスファンに惜しまれつつ地元福岡を去り第二の故郷古巣の大阪に戻った。穴吹監督同様・この年から元チームメイトだった佐々木恭介が新監督となり『あの妥協しない姿勢は若い選手の良い手本になる』と言いテストを受けさせ入団した。背番号は29を逆にした92番に決定した。名前も『カズ山本』から新人のつもりで頑張る意味から山本和範に戻した。
因みになぜ『カズ』かと言うと2つ所説がある。①それまで近鉄時代から『ドラ(ドラキュラから命名』と言われていたが娘がいじめられた事から改名②当時Jリーグが発足し三浦知良が『カズ』と呼ばれていた事から便乗して命名。。近鉄復帰後もここ一番の勝負強さは健在で14本塁打を放った。そして5回目のオールスターゲーム出場だったが自身初のファン投票での選出だった。そのファンの思いがバットに宿り第一戦では前年まで在籍していた福岡で放った代打本塁打が決勝点となりMVPに見事輝いた。近鉄選手の受賞は土井正博(3回)平野光泰・梨田昌孝・に次いで4人目の快挙だった。(後に中村紀・的山も受賞)ファンとして授賞式で落合・イチローに挟まれて中央に立ってボードを掲げている姿が誇らしかったし感動的だった。インタビューでは『まさか打てるとは思っても見ませんでしたから・・まぐれですよ!』と目を潤ませこちらももらい泣きしたのを覚えている。
その後も代打で登場する機会があったが徐々にチャンスが減り99年には1軍に来る事がないままシーズンを終えると誰もが思ったが何と最終戦・古巣ホークス戦に登場した。球団からは41歳と言う年齢から引退を勧められたが『現役続行』を宣言していた。。
9月30日対ホークス戦・同点で迎えた9回『代打・山本』のコールが告げられると球場全体が割れんばかりの歓声に変わり山本一色となった・・誰もが『23年間・ご苦労様・・』とチームも送り出し最後の思い出と考えたはずだった。。この年一度として1軍でバットを振っていなかったのだから・・迎える投手はこの年無傷の14連勝を誇っていた0点台の男・篠原が立ちはだかった。5日前に優勝を決めていたとは言え打たせる雰囲気はなかった・・構えた右手首にはガチガチに巻かれたテーピングが痛々しかった。。カウントは0-3になり歩かされるな・・と思った次の瞬間大きく右足を上げ1・2・3で振った打球は長年応援してくれたライトスタンドへ吸い込まれた・・勝ち越しの本塁打であった。ヘルメットを脱ぎ万歳をしてダイヤモンドを一周する山本を360度の4万8千人の観客が山本コールと拍手を送った。『打ったボール?コースも覚えていない・・理論的な事じゃないから‥』そして両チームからの胴上げされ事実上の『引退セレモニー』となった。(この日5日前に優勝を決めたホークスの優勝セレモニーを控えていた)『世界一広い福岡ドームで41歳でホームランを打った。僕は大した記録はないけど、記憶に残ってくれれば・・』と語った・・翌日引退を宣言した。
『これ以上の感動をファンに与える事はもう出来ない・・卒業します。』と言い残し去って行った。。3度の解雇を乗り越え41歳まで現役を貫いた山本和範は素晴らしい選手だった。
顔は完璧に『近鉄顔』で間違いないがここ一番の集中力とパンチ力はまさに近鉄である。まさに記憶に残る選手である。